PRAKTINA(プラクティナ・プラクチナ)は1952年から1960年まで
東ドイツのKW社(KAMERA WERKSTATTEN社)で生産された
35mmフォーカルプレーン一眼レフである。
PENTINA(ペンティナ)を手に入れたことから、東ドイツのカメラに興味を持ち、
このカメラを少し集めてみたくなった。PRAKTINAについては、
「カメラレビュー・クラシックカメラ専科48(1998年9月)」の特集
『プラクチナのすべて』(湯浅 謙 氏著)に詳しく載っており、それを参考にさせて
いただき、最初にこのページを書いた。
アップ後に、掲示板でいくつか指摘を受け、資料として
「東ドイツカメラの全貌」(朝日ソノラマ)を薦めていただいた。
この本を見ると、PRAKTINAには最初の基本モデルがあり、その後FX、IIaと
3つのモデルだったことがわかる。
PRAKTINAの魅力は、なんといっても、この年代に素晴らしい先進性を持った
システムカメラであったことだろう。
PRAKTINAの時代は、一眼レフが黎明期から大きく発展するころであり、
1960年にニコンFが発売されたことを思うと、その8年も前にこれだけのカメラを
作り出していたことに、ワタシは大きな驚きをおぼえる。
さらに1952年といえば、あのライカM3の発売の2年前、現行機がIIIfの時代である。
時代はまだレンジファインダー全盛だったのだ。その時代に、いやその時代だからこそ、
RF(レンジファインダー)機とは違った、SLR機(一眼レフ)のメリットを
最大限生かすために『システム』化したカメラを開発したのだろう。
PRAKTINAの特徴は、それらの用途用途に対応するために最初からアクセサリーを用意し、
カメラのボディに拡張性をもたせたことだ。
さらに、スプリング式のモータードライブによって毎秒2コマの連写を可能にしたり、
なんとこの時代に電動モータードライブとラジオコントロールで、遠隔操作のシステムまで
あったと聞くと、もはや唖然としてしまう。
(このモードラ関係が、特にワタシがPRAKTINAに大いに肩入れする理由のひとつである。)
東西冷戦の真っ只中という時代背景も影響したのか、また日本製一眼レフの猛攻撃に
敗退したともいえるのか、営業的には決して成功したとは言えないカメラであろうし、
今では埋もれてしまったカメラであるが、このカメラを手にとると、
時代を超えて現代でも通用する確かな手ざわりがある。
50年近い年月の向こうに、ドイツのカメラ作りのスピリットを感じるような気がする。
PRAKTINAは機種としては前記の通り、最初のモデル、FX、IIaと3種類がある。
機種ごとの生産台数は
最初のモデル 10,041台
FX 66,967台
IIa 24,848台
総生産台数は 101,856台である。年度ごとの生産台数は下記の通りである。
1952年 4266台 PRAKTINA(最初のモデル)生産期間 1952年7月〜1953年8月
53年 8662台 PRAKTINA FX 生産期間 1953年9月〜1958年7月
54年 11320台
55年 15120台
56年 15070台
57年 14975台
58年 15220台 PRAKTINA IIa 生産期間 1958年6月〜1960年5月
59年 11071台
60年 6152台
内部機構と外観のデザイン変更で、湯浅氏はFXを前期・中期・後期に分類している。
カメラボディのシリアルナンバーは、裏ブタを開けて、パトローネが入る部分に刻印してある。
ワタシの3台は 22520、76266、108046
2で始まるシリアルナンバーのボディは、中古カメラ市場に少なく、氏の手元にあるものが
27926、カメラ博物館所蔵のものが、28XXXだそうだ。
そこでワタシのカメラだが、上記の通りそれらよりずっと若い22520である。
実は部品取り用に、ジャンクのボディをもう1台持っているのだが、それはさらに若く、
21015である。上の年表にナンバーを当てはめると
1952年 0〜 4266番
53年 4267〜12928番
54年 12929〜24248番
となるので、1954年製なのかもしれない。
それらは、FX前期の中でも、シンクロソケットが1つのタイプである。
ただ、2台のFXはペンタプリズムがオリジナルではないのは、ちょっと詳しい方には
すぐわかるだろう。FXの中期まではペンタプリズムの前面が黒の貼り革になってる
タイプで、このクローム地にマークの入ったものは、FX後期以降の製品である。
つまり、あとの時代に交換されたものということになる。
湯浅氏はシリアルナンバーの頭の数字が西暦の末尾ではないかと仮説を立てているが、上記の
製造台数が正しければ、「76266」というように5桁では年間1万台以上の台数を表現で
きない。もし、「71XXXX」といった6桁のものがあれば別だが、やはりこれは連番と見
るのが適当だろう。ただ、氏の所有のナンバーで「127248」が一番大きな数字のもので
上記の総生産台数101856台からすると25392番も狂いがある。
こうなると、最初の製造番号が1番からではなく、10001とか20001からなのかも知
れない。あ、21015のFXが手元にあるから、20001からというのはありえないか。
10001からとしても15000も狂いが。。。 謎は深まる。
(左はどちらもFXだが、刻印の押し方が上下反対になっている)
PRAKTINAは、こういった完備されたアクセサリーによって、特徴があいまいになる点がある。
ワタシの初期型のボディには実はセミオート絞りレンズのレバーをレリーズ時に蹴る機構が
ついていなかった。
付いてきたレンズはこれも初期型のテッサー(50mm f2.8)で、プリセット絞りのレンズであるから、
どうも初期型にはセミオート絞り機構を省いた、(もしかしたら廉価版)ボディが存在したのかも
しれないのだが、実はこのボディにも上記のレバー部品を取り付けるネジ穴がきってあり、
ためしに中期型の部品をはずして付けてみると、簡単に取り付けられて、機能する。
つまりこの部品があとで取り外されたのかもしれないわけで、ほんとうのオリジナルの
状態というのはなかなかわからないのかも知れない。
FXからIIaになって、基本的なデザインは変わらないが、カメラのスペックが変更になっている。
まず、レンズが自動絞りになり、巻き上げ(シャッターチャージ)によって、絞りが開放位置に
戻る。ただし、これはフレクソンなどの後期のレンズのみで、IIaにビオターなどのセミオート
のレンズを付けると、絞り込みレバーの動きが逆のため、機能しない。反対にFXに自動絞り
のレンズを付けても、同様に本来の機能は使えない。
IIaになって、シャッタースピードがFXの国際式(1 2 5 10 25・・・)から等倍式(1 2 4 8・・)
に変更になった。
その他、細かい点では、シンクロの切り替えがFXが2つのソケット(または1つ)だったのが
IIaでは切り替えのスイッチがついた事、セルフタイマーがFXではセットした位置で止まらずに
指を離すと、すぐに作動を始めるのが、IIaでは、シャッターボタンを押すと作動を始めるように
なった事がある。
PRAKTINAの特徴のひとつに、透視式のサブファインダーがある。ALPAなど、他の
初期の一眼レフにもこのサブファインダーをもつものがある。今のSLRや、当時のRF機と比
べると、ファインダーは暗い。室内などの光量の少ない状況下では便利だったのかもしれない。
ただ、単なるビューファインダーでALPA7のように距離計が組み込まれているわけではない
ので、あらかじめピントはペンタプリズムファインダーで合わせておくか、目測になる。
またビューファインダーは標準レンズの画角であり、交換レンズを使うときはフレーミングの目安
にはあまりならない気がする。今にしてみると、あまり意味がないように感じるがこれも、当時は
セールスポイントだったのだろう。
レンズ
(レンズ:アンジェニューレトロフォーカス28mm F3.5)
手元のレンズはFX前期モデルに付いていたテッサー(50mm f2.8)
FX中期モデルに付いていたビオター(58mm f2.0)
IIaに付いていたフレクソン(50mm f2.0) そして、湯浅氏の記事には載っていない
アンジェニューレトロフォーカスの28mm f3.5 の4本である。
テッサーは、最初期のプリセット絞りタイプである。ビオターはエギザクタなどでも有名な
当時の大口径レンズ。絞り機構は、セミオート。フレクソンはビオターに変わって採用された
自動絞りのレンズで、焦点距離は50mmになったが、レンズ構成は同じ4群6枚のガウスタイプである。
アンジェニューは外観はエギザクタマウント用と同じもので、マウントだけPRAKTINA用に
したものである。絞りはプリセット。ワタシは、古いカメラを単に今の時点での使い勝手ばかりで
評価するのは好きではないのだが、これらのレンズを実際の撮影で比較すると、
やはり自動絞り(ボディはIIaになる)のフレクソンは使いやすい。
セミオートのビオターも、ワインドノブの巻上げと絞りレバーのセットを一連の動作でやることに
慣れてくると、リズム感があって楽しい。プリセット絞りのレンズは、もともとの開放F値の暗さも
あるし、ストップ位置にセットしておいてピントを合わせてから絞り込む(だからプリセット)
というのはけっこう面倒である。しかし、テッサーもアンジェニューの広角も好きなワタシは、
それでもなんとか使おうとする。そう、そういう時のために、このカメラにはサブファインダーが
あるのだ!
スプリングモータードライブ
(左は三脚穴が小ネジ仕様 右は大ネジ仕様)
(ボディは小ネジ・大ネジがある。左上は大ネジに小ネジのアダプターを付けたもの)
PRAKTINAの唯一といっていいウィークポイントはミラーがクイックリターンではない
ことだろう。ところが、これを解消するのが、モータードライブである。
前に書いたとおり、この時代にこのカメラはモータードライブがアクセサリーとして存在したのだ。
しかも電気式ではなく、ゼンマイ仕掛けなのだ! ゼンマイモードラといえば、ROBOTを
思い出すが、ROBOTのように、自動巻きを前提とし、機能化されたロータリーシャッターなど
ではなく、こちらは普通のフォーカルプレーンシャッター、しかもミラーの連動もある。
ゼンマイの特徴はその強力なトルクである。巻上げノブは手で廻すのでもけっこう抵抗があるのに、
このモードラは、巻き上げ軸の下部のギアに直結して、いとも簡単にフィルムの巻上げと
シャッターチャージを毎秒2コマのスピードでやってのける。
これを使えば、シャッターボタンを押してシャッターがきれたあと、指を離すと、その
一種暴力的なパワフルな動きでフィルムが巻き上げられ、ミラーが復元する。
もう、こうなれば現代のカメラになんら遜色はない。
巻き上げレバー
モードラを連結させる、底面のギア部分に、手巻きで巻き上げるレバーのアクセサリーがある。
レチナの巻き上げレバーに似た感じである。これはクラッチになっていて、分割巻き上げが
可能である。
ファインダー
(ウェストレベルファインダー)
(表面が起毛の美しいデザインの外箱。ファインダーの横には『USSR OCCUPIED』の印字)
ペンタプリズムのファインダーは交換式になっていて、ウェストレベルファインダーや
露出計内蔵のファインダーなどと交換できる。
ファインダースクリーンも交換式で、たまたまデッドストックの未使用品が入手できた。
このスクリーンは「スタンダードカメラ」という西ドイツのメーカーのもので
東西冷戦時代に、こういうアクセサリーを西側のメーカーがつくっていたというのが
面白い。
(2つの押さえレバーで簡単に交換できるファインダースクリーン)
(裏ブタは取り外し式で250コマのフィルムバックがある。)
(上がIIa 下がFX 裏ブタのレリーフのデザインが変更になっている)
(マウント内部 左がIIa 右がFX レンズの絞りピンを蹴る機構が変更になっている)
PRAKTINAの魅力
ワタシはPRAKTINAで写真を撮るのが好きだ。このカメラをホールドすると、
とても手に馴染む。違和感というものがない。前面の斜めに押しこむシャッターも、
とても操作性がよい。
ファインダーは、現代のカメラに比べれば暗いが、スプリットイメージのスクリーン
なら、ピント合わせも問題ない。
なにより、ツアイスの本家・イエナのビオター・フレクソンのレンズが
実にいい仕事をしてくれる。シャープでありながら階調の豊かなこれらレンズは、
明るい野外でも、室内でも条件を選ばずいい描写をする。
そして写真を撮りながら、PRAKTINAの時代に思いをはせる。
当時、相当に高級なカメラであり、プロのカメラマンかお金持ちしか使えなかった
にちがいない。
モードラを付けて、スポーツ写真などの動きの速い被写体を追ったカメラマンがいたのだろうか。
接写や顕微鏡・望遠鏡写真などで、未知の映像に挑んだ写真家がいたのだろうか。
50年という時を超えて、PRAKTINAは、道具としてのカメラの理想形とはなにか、
そんなことを問いかけているような気がする。
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