カメラ関連の本を読んでいて、それまで知らなかったカメラに出会い、そのカメラが
無性に欲しくなってしまうということがある。
ワタシの場合のペンタコンスーパーがまさにそれである。
PRAKTINAのことや、東ドイツのカメラについて調べようと、大枚1.3万円を出して
購入した「東ドイツカメラの全貌」(リヒャトフンメル著 リチャードクー翻訳)の中に、
ペンタコンスーパーを見つけた時、何故か、これはいずれ手に入れなくてはいけない
と、思いこんでしまった。
詳しくは本を見てもらいたいが、このカメラはプラクティナの生産終了後、ペンタプリズ
ム交換ができるような、高級システムカメラが東側になくなり、そのために開発された
ものらしい。
なんといっても、このカメラのプロトタイプ(実物を見てみたいものだ)にはPRAKTINA
の後継機の証しとして『PRAKTINA N』という名前がついているのだ。(!)
プロトタイプは1963年にはできていたが、ペンタコンスーパーの発売は1968年。
M42マウントで、開放測光を実現するために、絞り値の伝達の仕組みなどに高度な
技術が要求され、生産が難しかったという。
このカメラの特徴は
M42マウント 開放測光(専用のピンを備えたレンズでのみ)
交換式ペンタプリズム
ファインダー内で、シャッタースピード・絞り値読み取り(プリズムによる光学式)
シャッター:縦走りフォーカルプレーン
スピード:1/2000〜1秒、
セルフタイマー部を使用して2〜10秒のスローシャッター可能
専用モータードライブ・長尺マガジン
といったところで、機械式の一眼レフとして、フルスペックともいえるだろう。
ソ連の宇宙飛行に同行したというエピソードもある。
開放測光の絞り値の伝達には、日本のカメラによく見られるような、レンズ外周部に
ピンをそなえる方式ではなく、光軸に並行に小さいピンが出入りするという、独特の
方式を取っている。この移動量は微妙で、かなり高度な工作精度が要求され、それが
生産の遅れや、高価格につながったという。
いま、このカメラを手にとってみると、まずその大きさと重さに圧倒される。しかし、その
しっかりとした作りは、とても安心感があり、操作性もいい。
M42マウントのカメラはたくさんあるが、そのなかでも色々な意味でトップクラスのカメラ
といえるだろう。
開放測光については、上述の専用レンズが必要なので、他のレンズでは絞りこみ測光
になるが、明るいファインダーはピントも合わせやすく、1/2000までのシャッターも
あり、思ったよりも現在でも十分実用機になってしまう。
PENTAKON SUPERはわずかに5000台が作られただけで、プラクチカなどのより
低価格のカメラの生産に集中するため、製造中止となった。
それ以後、プラクチカBシリーズなど、日本のカメラの対抗馬的なカメラは生産されたが
いわゆる、プロスペックな35mm高級一眼レフは、その後東ドイツで作られることは
なかった。
このカメラの生産時期の60年代後半から70年代始めといえば、すでにニコンはF2と
なり、キャノンはF1を発売している。時代は動いていたのだ。
時代を先取りし、特に一眼レフでは世界リードしてきた東ドイツも、もはや市場での
競争力を失っていたことが、ワタシにはなぜかせつなく、寂しい思いがする。
ペンタコンスーパーを、ソ連(ロシア)製のカメラと同列でとらえ「東側にもこんなカメラが
あった」という軽いノリで解説しているコレクターのHPを見かけたことがあるが、それを
見て、ワタシが腹を立てたのはいうまでもない。
ワタシは自分のポリシーとして、ソ連・ロシア製のカメラは一切買わない主義なのだが
それは、平気でニセモノ・コピーカメラを生産するような国が嫌いなためである。
ロシアモノと東ドイツモノはまったく別のものなのはいうまでもない。
共産圏のカメラにはふさわしくないかもしれないが、ワタシはこのカメラに「最後の皇帝」
という称号を送りたい。
東ドイツカメラのラストエンペラー「ペンタコンスーパー」をもって、ひとまずワタシの
東独カメラ(コチカメ)コレクションの旅は、終わることにした。
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