レチナIIIcとはどんなカメラか(2)

レチナというカメラは35mmカートリッジ(つまり現在と同じ)フィルム
を使うカメラとしてはライカ以降はじめてのカメラだったそうです。
それから改良を重ね、IIIcと、ブライトフレームタイプのIIIC(日本では
大窓、アメリカではラージCとかビッグCと呼ばれます)を最後に、フォール
ディングカメラから、ノーマルなボディのレンジファインダー機、そして
一眼レフへと発展し、60年代半ばまでレチナというカメラは製造されました。

このカメラ、レチナIIIcは、製造台数20万台。
製造期間は1954年から1957年まで。当時の販売価格は$185。
1$=¥400で換算して、74000円。
日本では昭和30年当時、大卒の初任給が1万円台ですから、相当高価なもの
だったはずです。

最近、栃木県のカメラ修理専門会社の「関東光学社」というところと知り合い
になり社長の三宅さんに、古いカメラについて色々教えていただきました。
(社長さんは、修理するという立場でカメラと接してきたためか、販売店や
 実際にカメラを使う立場とはまた違ったカメラの見方をされていて、大変
 面白かったです。そこでお聞きした話も、別のページで披露します)

三宅さんによると、レチナは日本では新聞社の支局長クラスが、取材用に社
から支給されるようなカメラだったそうです。取材といっても、紙面を飾る
写真、つまり写真部のカメラマン達は、スピグラ(スピードグラフィックス)
に代表されるような大判カメラが主流でした。
記者たちはもっと安い、カメラ(コンテッサなどの名前をあげました)が支給
されていたそうです。
まあ、今で言えば、ノートパソコンを支給されるようなものでしょうか。

では、アメリカではどうだったのか。日本と同じように報道や芸術としての
写真はやはり大判やブローニーが主流だったのでしょう。
ただ、戦場での写真はその携帯性や速写性から、35mmが主流となり、
ライカが活躍し、ニコン神話が生まれたりした時代です。
アメリカでもこのカメラはいわゆるプロのカメラではなかっただろうと
思っています。ビジネスマンが仕事で使う、あるいは写真雑誌風に言え
ば「ハイアマチュア向け」そんな気がします。

私自身はフォールディングカメラは初めて手にしたのですが、このカメラを
見ていると、妙に懐かしい気分になります。
それは、私の子供の頃の記憶にある60年代や50年代の雰囲気です。
子どもの頃に見た、アメリカのホームドラマ。「パパは何でもしっている」
や「奥様は魔女」そのほか名前は忘れてしまいましたが、1950〜60年代
という、アメリカがある意味でもっとも豊かだった時代のホームコメディ。
インテリで高収入で健康でハンサムで、家にいるときもネクタイをしている、
人がよくてユーモアのある旦那さん。そして、美人でスタイルがよく(女優
だから当たり前か)優しい奥さん。ちょっと生意気だけれどかわいい子ども
たち。そんな幸せを絵に描いたような家族の日常を、当時の私達は別世界の
ように茶の間で見ていました。
まさか30年後にフローリングに暮らすとは夢にも思わずに。

そんな「良きパパ」が休日にはステーションワゴンに家族を乗せて、近くの
湖までドライブ&ピクニック。
「あなたカメラ持ってきた?」というママの声にパパが取り出すのが
RETINAIIIc。うーん。いい。
もちろんこんなシーンは私の想像なのですが、そういう雰囲気をこのカメラは
持っている気がします。

もうひとつ。このカメラはコダックの製品であるという点で、他のカメラメー
カーのカメラとは違った側面を持っていると思います。

ご承知の通り、KODAKは最初に一般向けカメラを発売したメーカーで
数多くのカメラを生産してきましたが、同時に世界最大のフィルムメーカーに
成長していました。

アメリカのカメラコレクターのページにも書いてありまいたが、コダックに
とっては、カメラ自体のビジネスより、フィルムがより売れる、つまりより
多くの人が、たくさん写真を撮ってくれるようにするにはどうすればよいか
というほうに、関心が移っていったと思われます。
つまり、ライカやコンタックスが買える、プロやお金持ちだけでなく、もっと
多くの人に写真を撮ってもらいたい。35mmカメラをもっと多くの人に知って
もらいたい。それには、作りがよく、いいレンズを付けた、しかも扱いやすい
カメラを、リーズナブルな価格で提供したい。そんな思いがこのレチナには
込められているような気がします。

それと、この当時アメリカではカラーフィルムが普及しだしたのではないで
しょうか。レチナIIIcの巻き上げノブのフィルムインジケーターには
「コダクローム」の文字があります。
カラーフィルムを素人が撮る場合まず露出計が必要です。
IIcに露出計を組み込んだIIIc。これはコダックのカラーフィルム戦略の
一環だったのではないでしょうか。

私がIIIcを選んだ理由の1つに、この露出計付きという点があります。
小学校のときに伯父のお古でもらったマミヤの35mmレンジファインダー機
は露出計がありませんでしたが、その次に買ってもらったキャノンデミ17
以降、考えてみたら露出計のないカメラは使ったことがありません。
そのマミヤでは(モノクロでしたが)すべて勘で撮っていて、今でも遠足の
時に撮った写真を見ると、露出もピントも合っています。

まあ、露出計といってもどうせあてにはならないだろうけど、カメラ任せで
すっかり堕落してしまった私には、ないよりましだろうというぐらいの気持ち
でした。ところが・・・・・

最初のテスト撮影はカメラが届いた土曜の午後、五月晴れの公園。
まず、お供のミノルタα7700iで露出を測る。このAF第二世代と言われた
カメラは私にとっては最新機なのですが、今や中古で2万円代で売られていて
とても不憫に感じています。このカメラが先鞭をつけた、14分割測光、つまり
測距情報を露出情報に置き換える、よーするにピントを合わせた部分の明るさを
測るというシステムに、私は尊敬と信頼を置いています。
そのカメラの答えは(ISO100)250の5.6。ここで突然小学生時代の
記憶がよみがえる。「そーだ、晴れた日は125の8だった。」フィルムの
箱の中の説明書の露出の目安の表を覚えたっけなあ。
そんなことは、とりあえず置いておいて、今日のテーマはレチナの露出計の
くせというか、誤差を測って「実際にこれだけで使えるようにしよう」でした。

さて、レチナの番。同じように公園の噴水にカメラを向け、追針式のメーター
のダイヤルを読む。これが何とEV読み取りなのだ。その数字を読んで、
連動するというかいっしょに回るシャッタースピードダイヤルと絞りのリング
の数字に合わせると(詳しい使い方は説明書のページで)絞りとシャッター
スピードの組み合わせが固定され、一緒に動く。つまり、250の56で
合わせると、125にすれば8になり、60にすれば11になる。
よーするに最近のプログラムモードのシフトをする要領です。これは便利。
ただし、段階露出をするのはちょっと(いやおおいに)不便。

そのときのEVは13。私はEVはピンと来ないので、カメラの下側でそれを
合わせ、シャッターと絞りの組み合わせを見ると、250の56。
なんと合っているではありませんか。ここでこのカメラに、私のこれまでの
不作法を深くお詫びしたのでした。そして、はなから昔の露出計を信用しな
かった自分を恥じました。恐れ入りました。
実は、いつもお供に一眼レフをもち歩くのも何だから、露出計を買おうかと
思っていたのですが、それは不要でした。

しかも、その日帰ってから説明書をよく読んだら、付属品でなんと露出計の
受光部に付ける、乳白の拡散板まであり、入射光式としても使えると書いて
あるではありませんか。それで、ようやくカメラケースの裏側に何か小さな
物を止めるような、ゴム付きの部分が理解できました。この拡散板(英語で
Defusing Screen)を止めておく場所だったのです。

私はAF以前の一眼レフの頃に、カメラのどこかに入射光の受光部があって
TTL測光と両方が使えたら便利だろうなと考えていた事があります。
その夢のカメラが突然現れたのでした。

ところが、その拡散版は残念ながら付いていませんでした。
早速、買った店に説明書のスキャン画像とともにメールを送り、在庫を
問合わせると、$5とのこと。知っていれば一緒に買ったのに。いけず。
とりあえずこれだけでは買いようがないので、キープだけしてもらいました。

もうこの辺でかなりこのカメラの魅力にとりつかれてしまいました。
ライカのように戦場で生死を共にするといったすごさとは違った、なんか
もっと、気楽な幸せな気分にさせてくれる、そんなカメラだと私は思います。
このカメラは自分に合っている。何しろほぼ同じ年だ。でも正確には何年に
作られたのだろうか。ひょっとしてシリアルナンバーで解るかもしれない。
ここでまた、写真を撮るのとは別の楽しみができてしまったのです。

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