ペンFTとOM−1の隙間の短い生涯
オリンパスFTL
(1992.3.25朝日ソノラマ社発行のクラシック専科NO20
「オリンパスのすべて」オリンパス光学資料 より)
■諸元
発売年月:昭和47(1972)年7月
標準レンズ:GズイコーオートS50mmF1.4 6群7枚
:FズイコーオートS50mmF1.8 5群8枚
シャッター:布幕式横走りフォーカルプレーン、B・1〜1/1000秒、
FPX接点切り替え式、セルフタイマー付き
ファインダー:ペンタ固定式、0.95×
焦点調節:マイクロプリズム入り焦点板
露出汁:CdS、全面測光TTL方式、開放測光(絞り込み測光可能)で
シャッター、絞りに追針式連動
F1.8付きでEV3〜18(ASA100)H−D型水銀電池使用
フィルム送り:レバー巻き上け(小刻み巻き上け可)
その他:定位置ロック式のプラクチカスクリューマウント、
フィルムカウンター巻きましボタン自動復元
大きさ、重さ:140×91×94mm、900g(F1.4付き)
140×91×84mm、830g(F1.8付き)
発売価格:50,000円(F1.4付き)
42,000円(F1.8付き)
ケース2,500円
小型カメラが主流であったオリンパスも昭和34(1959)年頃、当時アサヒペンタックス
に代表される35mm一眼レフ台頭の気ざしに眼を向け、研究開発に着手した。基本設計
試作を完了し、生産化の準備が始まった時、フオーカルプレーン秒時調速機構が他社
特許に抵触する事が判明し、残念ながら計画を断念せざるを得なかった。
その後ペンサイズー眠レフカメラの企画立案が承認されると共に主力をこれに傾注し
たことによって、35mmSLRは一時棚上げせざるを得なかった。その後ペンFシリー
ズの開発の一段落と共に昭和43(1968)年末、Mシステムと称する膨大な一眼レフシス
テムの企画が提案され、全設計陣をあげてこれに取り組んだのである。しかしこの構
想の実現には少なくも3年の年月を要することが見込まれたのである。
一方営業サイド、特に米国市場を本命とする輸出部門にとっては、ペンサイズカメラ
の不調もあり、1年後の商品化を強要して来たのである。ここにおいてMシステムの
堆進ほもちろん早めるが、輸出専用機としてプラクチカマウントによる、普及型一眼
レフの計画が新子会社設立によって強行されることが、昭和44(1969)年初頭に決定さ
れた。目標として昭和45(1970)年3月発売を期して開発ナンバー453と名づけられたの
である。
このカメラではプラクチカマウントでありながら定点にレンズを固定できるよう改良
したことが特徴で、これにより開放測光での露出計連動が正確かつ容易になっている。
なお他社プラクチカマウントのレンズも絞り込み測光で使用可能となっており、応用
性の高いカメラであった。
開発を進める過程において一方でMシステムという本命機種を進めながら、453開
発の担当者には全くこれを知らしめることなく、無理な日程を弱小な開発陣に強いた
ことは非常に心苦しく思い後悔の念に耐えない。
結果として453の初期計画は達成されず輸出は昭和46年より出荷されたが、国内販
売についてはM−1とほとんど同時期発売となった。極く短期間の生産で打ち切りと
なった。
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FTL用交換レンズ
標準:Fズイコー50mm F1.8 5群6枚、∞〜0.4m、
フィルター径49mm 価格9,500円
標準:Gズイコー50mm F1.4 6群7枚、∞〜0.4m、
フィルター径49mm 価格17,500円
広角:Gズイコー28mm F3.5 7群7枚、∞〜0.25m、
フィルター径49mm 価格21,800円
広角:Gズイコー35mm F2.8 6群7枚、∞〜0.3m、
フィルター径49mm 価格18,000円
望遠:Eズイコー135mm F3.5 4群5枚、∞〜1.5m、
フィルター径49mm 価格16,200円
望遠:Eズイコー200mm F4 4群5枚、∞〜2.5m、
フィルター径58mm 価格25,500円
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各レンズともプラクチカマウントのネジを持っており、カメラに装着して行くとレン
ズが真上の定点に達する手前約10mm位の所で胴付きがマウントに当たり、それからは
マウント上をスリップして行き、強いスプリングでつられているネジ部のみがボディ
内に入って行き、定点に達するとボディーのストップピンがレンズのロックキー溝に
入って固定される。この時絞りリングに立っているピンが、ボディー側の絞り情報を
取り入れるリングの突起と係合するようになっている。従ってこのピンの位置により
開放F値情報も取り入れることができ、どんなF値のレンズでもそのまま開放測光が
可能なようになっている。
FTLの発売が1972年というのは国内販売開始であろう。海外は1年前の1971年発売
のようだ。1972年にはM−1が発売になっている。つまり、実質1〜2年しか製造・
販売されなかったようである。
各カメラメーカーには、短期間の製造で消えていったカメラがいろいろある。結局は
あまり売れずにという理由であろうし、逆にそれがコレクターアイテムとなっていた
りする、喜悲劇があったりする。
FTLもその1台ともいえるだろうが、このカメラで特徴的なのは、前機種のPEN
Fシリーズが世界にも例を見ない「ハーフサイズ一眼レフ」であり、後の機種が現在
に続くOMシリーズという、ヒット商品にはさまれているということだろう。
そのはざまで、忘れられた存在としてのFTL。M42スクリューマウントの弱点で
ある「レンズストップ位置」のアイデアはあるが、他のオリンパスのカメラに見られ
る「オリジナル」「ひとひねり」は見当たらない、言ってみればごく普通のカメラで
ある。
当時の開発・販売の努力のなかで生まれたちょっと悲しい運命のカメラではあったけ
れど、そのカメラが奇をてらったものではなく、普通のカメラであったことに、私は
なぜかほっとしている。
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